昭和の初頭、高田郡には無医村が7カ所あり、昭和10年頃、「農民のための農民病院をつくろう」と農民運動がおこり、社会運動家の賀川豊彦氏の協力も得て、高田郡をはじめ山県郡・双三郡を含めた33産業組合、組合委員1万5千人の力を結集、昭和18年4月に現在地に54床で開設されました。 建設に当たっては、病院建設用地は吉田町より寄付を受け、約4千坪の用地造成工事は吉田町民の勤労奉仕によって行われました。 その出発の姿は、保証責任広北医療利用組合連合会吉田病院として開設されており、その後、広島県信用・購買・販売利用組合連合会へ移管され、戦時体制の改革とともに、広島県農業会として再編発足されました。 戦後、昭和22年から農村民主化のための法制度が整い、農協法の制定とともに、農業会の解散、さらに施設連の設立、指導連に改組と続き、昭和26年12月4日に厚生連が独立誕生し、現在に至っております。
昭和20年8月6日の原爆投下の際は広島市内の病院が壊滅し、送られてくる負傷者の介護に吉田小学校まで使用し、約1ヶ月関係者は正に不眠不休で治療や看護に当たりました。当時のカルテは今も大事に保管してあります。 患者増のため昭和26年頃には98床となり、昭和29年には結核病床を50床増設し結核患者の収容と治療にありました。 昭和35年には県北地域に精神病院がなかったため精神病床を50床増設、昭和39年には更に70床を増設して精神病床は120床、総病床数では257床となりました。 昭和42年には木造の建物から、鉄筋コンクリート4階建てへと全面改修を行い、総病床数は305床となり、診療体制も内科、小児科、外科、整形外科、産婦人科、眼科、耳鼻科、精神神経科を備えた総合病院となりました。
昭和63年には老人保健施設60床を併設、透析医療も開始しました。平成4年には現在の本館6階建ての病床を新築、開放病床も20床設けました。平成9年には健康管理センターを設置しました。 平成12年からは吉田町在宅介護支援センタ-と居宅介護支援事業所、平成13年度からは地域医療連携室を設け、医師会の先生方と機能連携を図りながら地域医療に取り組んでおります。
平成26年には急性期治療を経過し、在宅復帰に向けてのリハビリ等を行うことを目的とした地域包括ケア病棟を新たに設置しました。 令和3年4月に広島県の地域医療構想により精神科開放病棟58床を廃止し、地域包括ケア病棟48床へ病床機能転換を行うと共に事業内容の見直しにより、令和3年3月末をもって老人保健施設のぞみを廃止しました。
また、かねてより老朽化した精神科閉鎖病棟への対応について、地域の少子高齢化による人口減少や今後の精神科医療の在り方などを総合的に勘案した結果、令和5年3月31日をもって精神科閉鎖病棟を廃止しました。
JA吉田総合病院では、地域の皆様に質の高い医療サービスを提供することを目指しております。そうした中で、医療を提供する組織としての機能を一層充実させるため、自己評価のみならず第三者機関による評価を受けることとし、(財)日本医療機能評価機構の病院機能評価を更新受審し、2022年2月4日付けで(3rdG:Ver.2.0)に認定されました。 今後、更なる医療への意識向上を図り、地域医療に貢献できる取り組みを行いたいと考えております。
病院機能評価は、病院が組織的に医療を提供するための基本的な活動 (機能) が、適切に実施されているかどうかを評価する仕組みです。評価調査者 (サーベイヤー) が中立・公平な立場にたって、所定の評価項目に沿って病院の活動状況を評価します。評価の結果明らかになった課題に対し、病院が改善に取り組むことで、医療の質向上が図られます。